2012年
1月
29日
日
*随意筋による動作には無意識のブレーキが伴う(拮抗筋)。ブレーキを切り離して目的の動作を全うするにはその動作そのものを無意識化する。それには同時に他の動作を意識的に行うことが肝要である。まさに、氣をイメージする動作が合氣道の本質である。
股割では股の開くことをいっさい意識しない。坐骨で座っていることだけは確認する。
次に目付の水平と背筋の直立を意識する。両手を手背で合わせて丹田の真下で指を揃えて床に着ける。限界までの吸気で胸をいっぱいに張ると上肢はほぼ一直線に床へ結ぶ。呼気と共に指先から氣が外側に出るイメージで手背を指先方向に床に接したまま滑らす。床と手背は密接して離れないものとイメージする。目付と背筋は変化しないものとして意識の外に置く。左右に上肢が開いて行って止まるところが限界であり、股の痛みを感じることは無い。
吸気では同じく密着したまま手背を経て床から氣を吸い込むイメージで丹田に滑らしながら戻す。この間脊柱は直立のまま左右の股関節を結ぶ軸で前方に倒れては両上肢の支えで垂直に戻る。大腰筋のみの屈伸に特化する。
脊柱の椎間や腰椎と仙骨の間で限界まで曲げることは股割とは関連が無く、つまり大腰筋を養うことに繋がらない。深部の脊柱起立筋を豊かにすることで呼吸や中枢神経や更には四肢骨格筋の働きを良くすることが可能である。また、周辺の関節や筋肉に余分な負担をかけすぎず、過剰な疲労や姿勢の偏りを避けることができる。
後ろから手当をする場合、仙骨と腰椎の間に両手掌を当てる。そこより上方では椎間の小筋肉群や靭帯に負担が懸かるだけで、中心になるべき大腰筋への活性化が果たせない。極端にそのような外力を受けることは有害無益である。
*取りの陽の陰で差し出す魂氣により受けの動く瞬間には呼気で陰の陽で丹田に巡る。陽の陽で進めて受けの上肢を越えて結ぶと直ぐに吸気で陽の陰へと巡る。この時、取らせた場合母指は受けの前腕で肘の方向、他指は前腕を巻いて取りの丹田の方向に(舟漕ぎ運動近似)。肘を曲げずに腋を閉じて行く。目付が手元に落ちると背が前屈みとなり、肘が曲がって二教の動作による効果が産まれない。
*降氣の形で転換すると受けの諸手は縦に並ぶ。閉じた肘をその間に入れて受けの胸先に接する様に結ぶわけであるが、このときその動作を意識しない。呼吸法であるから手首を一層屈曲して母指先が取り自身の側頸に結ぶよう目付けを受けとは反対側に向け、一気に腋を開く。この単独呼吸法の結果上記の氣結びが成立する。意識しないで他の動作を意識すると氣結びが成り立つ。呼吸とともに自らが氣結びを行い、結果受けとの間にも氣結びが成り立ち合氣となる。
*目付けが受けに向かうと、側頸が開かない、側頸が母指先に近づけないから母指先が側頸に結べない、転換だけに終わり入り身運動へ進めない、すると前方の足先が軸足となり得ない、後方の足先が入り身することで側頸の陰の陽の魂氣が一気に陽の陽で受けの同名側の頸部に接する。氣が受けの真中へ移ったとイメージできる。
*小手返しに取れない時(受けが一動作で引く時)手順で丹田から昇氣で呼吸法。これも無意識、判断しなくていい動作、躊躇しなくていい動作。
2012年
1月
25日
水
*片手を下段に陰の陽から陽の陽に伸ばそうとする、小林裕和師範は“与える”と表現された。手首までは伸展するがその先は屈曲して母指以外の指はまだ丹田に向いている。舟漕ぎ運動のホー・イェイである。他側は腰の後ろに陰の陽で結ぶ。“右手をば陽に現し、左手は陰に返して相手導け” 特に内巡り・昇氣または陽の陽、外巡り、正面打ち表。
*陽の陰で取らせて入り身転換すると、陰の陽に巡った時腋に間隙が残り手首の屈曲が甘く昇氣に進めることができない。陽の陰で取らせようとするときは陽の陽に巡って転換が典型。交差取り、特に諸手取りで降氣の形へ。
*同名側の頸から肩・背中にかけて母指の反りにあわせて取りの手首が反屈になることで受けの肩に密着し受けの脊柱を経て取りの体側に結ぶ。
*単独呼吸法は魂氣の基本動作であり座って行う。単独基本動作は立技で魄氣の三要素を行うが呼吸法即ち魂氣の三要素も必ず付随する。
*呼吸法は魂氣をイメージするが上肢の基本動作に違いない。平成23年度神氣館稽古指針参照。
2012年
1月
22日
日
禊
単独呼吸法
合氣体操
単独基本動作
坐技正面打ち一教表裏
正面打ち二教表裏
正面打ち三教表裏
片手取り四方投げ表裏
他
2012年
1月
18日
水
*自然体で静止し、そこから動作を始めるということは軸足を作ること。入り身運動の残心で静止した場合は送り足が軸足を作ることになる。魄氣の陰であるから同側の魂氣は陰で腰に巡る。魂氣が腰の後ろに結ぶことが軸足の確立に先立つわけである。それで前の足が方向や次の軸足の決定に預かる。片足で一瞬立つこと、または支えるということは、つまり止まることである。振り返ることも、転換、転進(転換してすぐ入り身)することも、まずは止まることである。究極の速さは、止まると同時に対側を一歩進めること、則ち飛び跳ねること。しかし決して走ることではない。軸足を作ると同時に他側を進めて地に置くこと。下段受け流しに見る。
*魂氣を陽の陰で取らすと降氣の形に巡り、回外・内結びまたは陽の陽で転換へ。
*取り自身の腋を開けて(手を伸ばし)、歩幅を大きく取り(結果腰が引けて間合いが空く)、目付が足下に落ちざるを得ない、送り足ができず魄氣の結び・残心が示せない。魂氣と魄氣の結びつまり合氣の不成立。以上の対極を動作する稽古に理がある。
2012年
1月
15日
日
自然体:両手は狭義の陰で体側に、両足先はやや外方に向け重心は開いた足の真中に。
正面打ち:陰の魂氣を腰の背部に結び軸足を作る・他側は丹田に陰で結び同側の足先を剣線上に置き半身とする。丹田で陰の陽から母指方向へ眼前まで進め、順次全指を開いて陽の陽。同側の足先は剣線上から母指方向に合わせて前方へ、陽の陽に一致して軸足とし後方の足を送り足。剣線から真中を経て入り身
陰の魂氣を腰の背部に結び軸足を作る・他側は体側から陽でも陰でもない魂氣(手刀)で振り上げ、同側の足先を剣線の際で受けの中心に向けて進める。真中に振り下ろし軸足とし、丹田に陰の陽で結び後方の足を送り足として入り身運動。体側から入り身にて真中へ
2012年
1月
11日
水
*手背を(入り身投げでは受けの項を)鷲掴みにすることではない。手掌を胸に当てる(入り身投げでも首を鷲掴みにして押し落とそうとするのではなく、受けの側頸を経て母指を除く指が受けの正中に結び、手背側に他側の陽の陰の魂氣が陰に巡って接することで両手が受けの側頸を介して自身の丹田に結ぶ残心は陰の陰で入り身運動)。
*受け流しは降氣の形(腋を閉じて陰の陽)であるから決して緊張させない。取らせる段階で既に陽の陰(腋を開けて上肢を吸気で伸展)であり、呼気と共に降氣の形に転じて母指から再び吸気で陽の陽・陽の陰で受けの側頸に結ぶ
2012年
1月
08日
日
*杖先に伸ばす魂氣と同時に足先を進め、送り足と共に杖尻を押し出す(相対動作片手取り入り身運動の魂氣は陰の陽で魄氣は陽から送り足)
*一瞬の陽の魄氣は重心を真中に進め(陰の魄氣では後ろ足に全体重を置いている)、伸展した後ろ足に軸を置いた瞬間に前方の足を転換の軸足に(足先を内股に)して向き直り魄氣の陰とし、次に陽の魄氣へ・正面打ちの反復転換。陽の魄氣で膝と重心が極端に前へせり出すと後ろ足は伸展が過度となり、一瞬の踏み替えによる前方の足を転換の軸足とする動作が不可能となる。
*単独動作の交差取り入り身転換昇氣を相対動作で。
2012年
1月
04日
水
*両上肢を吸気とともに指先まで真直ぐ前方に伸ばし魂氣の陽の陰とする。魄氣は左半身で直突きの寸前(正面打ちの瞬間)の陽とする。次に呼気で上肢を陰の陰で丹田に引き戻し、魄氣は後方に前重心を置き前方の膝を伸展し足先はかろうじて接地する陰の姿勢。陰から陽にかけて腰は前方から右下方にほぼ45度の捻転を伴い、上肢の先端は杖の把持に準じて陽とともに左が前に位置する(サー・イェイ)。舟漕ぎ運動では魂氣魄氣ともに前後の直線的巡りに止まる。ただし魄氣は足の伸展・屈曲を前後の足において反復するが、腰の位置が前後するわけではなく、まして上体が前後に揺れる動作であっては基本動作として成り立たない。剣と杖を用いた動作を思い起こすまでもなく、腰はあくまで捻転する動作であらねばならない。
*「右手をば陽に現し 左手は陰に返して 相手導け」 単独基本動作の一教運動や入り身転換、さらには相対動作の体の変更を初め合氣道の動作全般に通底する。魂氣三要素のうちの二つであり、そのまま結びに繋がる呼吸法の本体。
*両上肢を呼気とともに降氣の形から一方を回外して受けの腕に腋の下で結び、吸気とともに陽の陰にて受けの真中に、他方は母指から外側に陽の陽で結ぶ。両母指の反りに合わせて天地に広げ、呼気とともに天から丹田に巡ると同時に昇氣で外側へ陽の陽、地から降氣の形で回外して受けの腋の下に結ぶ。陰陽が左右転じて異名側の腋に結んで反復する。地と同側の膝に重心を置く振り子運動で転換する。目付けは受けの後方を見通す。