2024年
10月
27日
日
2024年
10月
26日
土
諸手取り呼吸投げ:特に魂氣の結びについて二法
1. 切り返し 小指
陽の陰で下段に与えて取らせると同時に魂氣の珠を包むように小指から弛緩屈曲し、母指を軸として陰の陽に巡り、同側の足先を外に開いて軸とし、剣線側に非軸足先を置くと腋が閉じるに従い肘から畳んで母指先が側頸を指すよう手首を弛緩屈曲させ、前胸部に密着して手足腰の一致で体軸を確立する。これで受けの両手は縦に並び、体幹は側弯しつつ反屈する。つまり、魄気の働きは受けに及ばずほぼ爪先立ちになる。さらに母指先が前方を向くように内から外へ手首を半回転する(結果的には外へ回すから回外と表現しているが)と、受けの体幹は殆ど取りの体軸に乗る。
2. 振りかぶり 母指
手刀で中段に与えて取らせると同時に同側の足を軸として対側の足先を一歩前三角に踏み出し、同時に母指先をその場に置いて飲み込むように反らせると小指球は前で切り上げるように前腕まで直立する。軸足交代で体軸から解脱した魂氣は陽の陰に返し、手足の結びが解けて軽く半歩踏み出して母指先は地に振り下ろす。
受けは諸手で取る瞬間、軸足・体軸を失って鳥船の陽の魄気となる。つまり、前後の足で支えられた体幹軸は前方に片寄り、腹側と背側に三角の頂点を持つ。与えた手には受けの両手の接点から中に入る魂気の結びが成り立つ。軸足・体軸の喪失と魂氣の結び、これが「崩し」である。
正勝で与えた魂氣が陰に巡って軸足交代から吾勝となり、結んだ受けの手と体幹軸は取りの体軸に密着する。互いの魄気の結びであり、「作り」である。
軸足を対側と交代して魄気(開祖のいわゆる空の気)から解脱することで、受けの諸手に結んだ魂氣は体軸から解かれ、今や正勝となった同側の非軸足を軽く半歩出し、身の軽さを得た母指先からの気流を意識して受けの足元の地に突き刺す気持ちで非軸足を踏み詰めると、魄気に結ぶ。「掛け」である。
踏み詰めた足に継ぎ足で入り身一足、両手は取り自身の体幹に螺旋で結び、四肢と目付けの五体で体軸、〝御柱〟が成る。すなわち開祖の勝速日によって技が生まれる。残心の思いと動作こそが勝速日であろう。
2024年
10月
23日
水
2024年
10月
20日
日
2024年
10月
18日
金
〝合気は禊である〟(『合気神髄』p150)
〝合気は禊から始める〟(同p145)
〝今までの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません〟(同p101)。
鳥船では吸気で振り出した陽の魂氣が呼気で下丹田に陰で巡る。これは禊の動作であり、相対動作においても呼吸法と呼ばれ、互いの手が魂氣の結びで繋がって同時に取りの各丹田に結ぶと、互いに釣り合って一体となることが感得される。
相対動作の転換法では、それらが取りの体軸を成し、動作の中に統一を含んでいるのである。また、対側の非軸足と、体軸から解かれた手はこの統一のもとに自在に動作することが可能である。
さらに軸足の交代で体軸が移ると、受けと一体となっている手・魂気には〝魂の比礼振り〟(同p149)が起こり、〝身の軽さを得る〟(同p105)。これが〝あらゆる技を生み出す中心である〟ゆえに〝合気道の技は固定したものでなく、臨機応変、自由自在の技である〟(同p108)
「統一を欠く変化は弱く、変化に乏しい統一ははたらきをもたない。
統一と変化とを具体的形体の中に同時にもたなければ形としての意義がない」
富木謙治著『武道論』(平成3年大修館書店)p55より
2024/10/18
2024年
10月
16日
水
2024年
10月
13日
日
禊:天の浮橋に立ち天地の氣に氣結びする/鳥船、左右左
2024年
10月
09日
水
魂気の巡りで魄気が軸を成し互いの結びで体軸確立。さすれば対側の手足は自在に働き、後ろ転換(吉祥丸道主のいわゆる上半身転換)を行って体軸が交代するなら、ここに元の半身で吾勝、正勝の動きが成立するわけである。
受けに与えながら陰に巡り、中丹田において体軸の一部となっていた手は転換により身の軽さを得て、自在に陽の陽で発することができる。これらは諸手取り呼吸法の機序である。
与えた手を魂氣の巡りで受けに発して技を生むためには魄気の巡りも必須であるということになる。その動作は吉祥丸道主により体の転換法と呼ばれ、何よりも相手の攻撃線(剣線)を外す目的に叶うものである。体捌きと呼ばれる足腰目付の動作である。
魂気を発して受けに手を与え、その場で同側の足が軸となれば魂気と魄気の結び、つまり合気は成らず、天地に立つべき御柱・体軸は生まれない。頂丹田と底丹田を結ぶ体幹軸は地に屹立することなく、左右の片寄った足に支えられるだけである。そこには体捌きが伴わず、吾勝に支えられた正勝の働きも生まれない。したがって受けに与えた手は自由にならないばかりか、受けの攻撃にたちまち曝されることとなる。
2024年
10月
08日
火
〝武産合気〟は形ではない
『合気神髄』に収載された開祖植芝盛平の言葉からこのことを確かめていきたい。
古来、心のたましいは天に昇り魂、肉体のたましいは地に下りて魄と呼ばれてきた。間を満たすものはことごとく気と考えられ、天から掌に受ける魂気が手を、地を踏む足底に受ける魄気が足腰を働かせると思うことにする。
自身の魂気と魄気が結べば〝天の気、地の気、要するに天地の気と気結びする〟(p172)〝天と地を結んでしまう〟(p28)。つまり〝合気は禊である〟(p150)
〝真空の気、空の気の結びつきによって〟〝左、右、左と巡環に払って禊すれば、四方八方位に武産が生き生きとして、武の兆しが出る〟(p95)。これは鳥船の行である。
〝武がなければ国は滅びる。すなわち武は愛を守る生命だからであり、科学の活動の根源なのです〟(p100)。
〝右足をもう一度、国之常立神の観念にて踏む〟〝自転公転の大中心はこの右足であります〟〝左足を三位の体にて軽く半歩出します〟〝左足は豊雲野神〟〝千変万化、これによって体の変化を生じます〟(p69〜70)。〝右足は〟〝動かしてはなりません〟。
〝左は正勝〟〝右は吾勝〟〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟(p70)。
また、〝正勝、吾勝、勝速日とは武産合気ということであります〟(p65)
以上のことから武産合気とは、いわゆる形の特徴によって定義される概念ではない。天地の気に気結びして体軸を確立し、非軸足と同側の手が自在に動いて左右交代しながら遂には五体が一つに結んで天地の〝御柱〟(p149)となる。つまり、入り身転換(p174)と入り身一足による残心が技を生むことこそ武産合気なのである。
2024/10/8
2024年
10月
02日
水