*随意筋による動作には無意識のブレーキが伴う(拮抗筋)。ブレーキを切り離して目的の動作を全うするにはその動作そのものを無意識化する。それには同時に他の動作を意識的に行うことが肝要である。まさに、氣をイメージする動作が合氣道の本質である。
股割では股の開くことをいっさい意識しない。坐骨で座っていることだけは確認する。
次に目付の水平と背筋の直立を意識する。両手を手背で合わせて丹田の真下で指を揃えて床に着ける。限界までの吸気で胸をいっぱいに張ると上肢はほぼ一直線に床へ結ぶ。呼気と共に指先から氣が外側に出るイメージで手背を指先方向に床に接したまま滑らす。床と手背は密接して離れないものとイメージする。目付と背筋は変化しないものとして意識の外に置く。左右に上肢が開いて行って止まるところが限界であり、股の痛みを感じることは無い。
吸気では同じく密着したまま手背を経て床から氣を吸い込むイメージで丹田に滑らしながら戻す。この間脊柱は直立のまま左右の股関節を結ぶ軸で前方に倒れては両上肢の支えで垂直に戻る。大腰筋のみの屈伸に特化する。
脊柱の椎間や腰椎と仙骨の間で限界まで曲げることは股割とは関連が無く、つまり大腰筋を養うことに繋がらない。深部の脊柱起立筋を豊かにすることで呼吸や中枢神経や更には四肢骨格筋の働きを良くすることが可能である。また、周辺の関節や筋肉に余分な負担をかけすぎず、過剰な疲労や姿勢の偏りを避けることができる。
後ろから手当をする場合、仙骨と腰椎の間に両手掌を当てる。そこより上方では椎間の小筋肉群や靭帯に負担が懸かるだけで、中心になるべき大腰筋への活性化が果たせない。極端にそのような外力を受けることは有害無益である。
*取りの陽の陰で差し出す魂氣により受けの動く瞬間には呼気で陰の陽で丹田に巡る。陽の陽で進めて受けの上肢を越えて結ぶと直ぐに吸気で陽の陰へと巡る。この時、取らせた場合母指は受けの前腕で肘の方向、他指は前腕を巻いて取りの丹田の方向に(舟漕ぎ運動近似)。肘を曲げずに腋を閉じて行く。目付が手元に落ちると背が前屈みとなり、肘が曲がって二教の動作による効果が産まれない。
*降氣の形で転換すると受けの諸手は縦に並ぶ。閉じた肘をその間に入れて受けの胸先に接する様に結ぶわけであるが、このときその動作を意識しない。呼吸法であるから手首を一層屈曲して母指先が取り自身の側頸に結ぶよう目付けを受けとは反対側に向け、一気に腋を開く。この単独呼吸法の結果上記の氣結びが成立する。意識しないで他の動作を意識すると氣結びが成り立つ。呼吸とともに自らが氣結びを行い、結果受けとの間にも氣結びが成り立ち合氣となる。
*目付けが受けに向かうと、側頸が開かない、側頸が母指先に近づけないから母指先が側頸に結べない、転換だけに終わり入り身運動へ進めない、すると前方の足先が軸足となり得ない、後方の足先が入り身することで側頸の陰の陽の魂氣が一気に陽の陽で受けの同名側の頸部に接する。氣が受けの真中へ移ったとイメージできる。
*小手返しに取れない時(受けが一動作で引く時)手順で丹田から昇氣で呼吸法。これも無意識、判断しなくていい動作、躊躇しなくていい動作。
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