インフルエンザと胃腸炎という二重の流行性疾患が学校を中心に広まっている最中であった。
当会の団体演武出場者は一組の代表者演武となった。
相対基本動作の次に恒常化している正面打ち一教と片手取り呼吸法の表裏について互いに交代して技を披露した。井桁の軸足交代、外転換と入り身転換、上体の入り身運動と昇氣などどれも技の要となる基本動作であるが、普段通りに正確な発現が見て取れた。
なによりも感心したのは、それぞれの技の初動で逆半身と相半身について間違えたり、やり直したり、動きが止まったりすることがなかった点である。たとえば、左から始めると決めて習慣づけていたとしても、表裏と繰り返すうちに勘違いすることも多いのであるが、予想に反して滞ることなくやってのけた。演武を前にしてこの二つを繰り返し練習した訳ではなかったので、この出来過ぎについては一つの結論に行き当たるという嬉しい確信を持った。
それは、表裏に限らず、技の始まりは常に取りが先ず意志を持つということである。すなわち、禊をする、魂氣を与える、真中を与えるという稽古の姿勢である。
取りが魂氣の陰陽を左右の手で決めて、与えた直後にそれを受けが取る。裏では受けがそれを察知していち早く取ろうとする、または打とうとするように、あくまで取りが主導する。きょうの技にはなかったものの、取りが魂氣を与えるとき片手取りや交差取りの他に横面打ちを予期することもその一つである。
左右や表裏を順次見せることにこだわらず、取りが始動の原則を貫いたとき、平常心が形に現れる身のこなしに習熟することも可能となろう。
課題であるが、与えて巡って発するときはしっかり吸って、母指先から魂氣が出ると思うことである。母指先の反りは必ず取りの丹田に再度巡り、残心で初めて技ができる。その間に受けのつぼを通ることが必須であること、合氣の本質であるから、忘れてはならない。
腕を振り上げるのではなく、禊で得た魂氣を母指先から発する。振り降ろすのではなく小指から氣が丹田に巡る気持ちで振り降りる。吸って吐いて軸足を作る。母指先と軸足を意識することが無意識でできるようになること。もうかなりできつつありますが。
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