植芝盛平合気道開祖の言葉をまとめた『合気神髄』では、体軸や軸足という用語を国之床立神に喩え、そして吾勝という言葉で現されている。
平易な語句に置き換えることで浮かび上がる動作について考察する。
天の浮橋に立つ間は左右の足先が剣線から30度の開きで左右対称に立って体幹軸を支えている。どちらの足も軸足にならず、つまり体軸を持たず、移動に向かうことのない静止した姿勢である。両手は呼吸と共に天地の気に気結びする禊を行う。
次に右足を剣線に対して30度から45度へ踏み直して軸足とする(p69〝自転公転の大中心はこの右足であります〟)。右手は魂氣の珠を包んだまま腰仙部に回して体幹軸となり、右の魂氣と魄氣が氣結びして体軸に与っていると思うことにする。
初めて体軸が確立したうえで、左足が非軸足となって剣線上に足先を軽く半歩出す。このとき左手は掌に魂氣の珠を包んで下丹田に置くが、常時伸展した母指先から魂氣を発しており、静止と動作が裏打ちされているという心の持ちようが合気の第一歩であると考える。
非軸足と同側の魂氣は揃って自由に置き換えることが出来、その後は軸足へと交代し、魂氣は丹田や体側に結んで体軸に与る。つまり体軸は移動して魂氣と魄氣の結びが左右交代して体軸に与る。
このように、はじめ右の足と手(魄氣と魂氣)の気結びで体軸を確立すれば、左の非軸足と手が自在に動作して、この左の氣結びによって移動した体軸が確立する。つぎつぎにこれをくりかえしてあらゆる体捌きが可能となる。
以上のことは『合気神髄』p69〜70とp105の要約に他ならない。
軸足を作って非軸足先を軽く半歩出すのは鳥船の呼気でイェイと魂氣を下丹田に結んだ姿勢である。この足腰を陰の魄氣と呼ぶことにする。魄氣の陽とは手に魂氣を包んで吸気とともにホーと前に差し出す時の足腰である。軸足は伸展して体軸を失い、前の非軸足は下腿を直立して地を踏み、下丹田は内側下方に向いて体幹軸がやや前方に偏って静止する姿である。
左右対称の両足で体幹軸を支えて禊を行う静止の姿に対して、魄氣の陽は下丹田が前下方に偏って静止した瞬間の姿と言えるであろう。いずれにしても千変万化の動きを生み出す体勢ではない。これは陰の魄気から入り身を経て残心に至る動作に必然の、勝速日の実体を現している(p70)。
合氣道の動きに入るには、足先を30 度から45度に踏み直し、同側の手には魂氣を包み腰仙部に置いて体軸を作り、これは地に固定する。対側の足先は軽く半歩出して非軸足とし、その同側の魂氣を包んだ手は下丹田に置く。
〝気の置きどころを知ることが第一(p67)〟である。
2021/3/6