下段や上段に魂氣を与える際、対側で軸足を作って非軸足を半歩更に進め、魂氣を包んだ同側の手を受けの真中に伸展する。
上段に与えて手刀に開く場合と、下段に陰の陽で魂氣を包んだまま与える場合がある。
ただし、下丹田に魂氣を置いて、同側の非軸足先は軸足の前に軽く出して、いわゆる半身の陰の魄氣から正に魂氣を発しようとする際に、受けが横面打ちや正面打ちの先手で動作することもある。
ここでは、下段に魂氣を与えて受けが逆半身でこれを抑えようとする場合の、いわゆる片手取りについて詳説する。
今、鳥船の陽の魄氣で差し出して受けが片手取りを動作すると、後ろの軸足は伸展して前方の下腿は垂直に地を踏みしめている。つまり軸足を欠いた状態であり、体軸は後ろの足を離れて、地を踏んだ前方の足近くに偏っている。この瞬間、受けの動作を防禦しつつ取りが攻勢をかけるには後方の足が地を離れて置き代わるしかない。なぜなら、受けと同じ剣線上では取りの技が成立しないからである。
例えば後の足が一歩前に進む相半身入り身から両手取りに展開するか、半身を変えずに半歩内方へ90度置き代える内転換か、外へ90度置き換える外転換である。仮に鳥船のように陽の魄氣から陰へと軸足を伸展から屈曲へと戻して体軸を維持すれば、取りは明らかに後手を引くので瞬時に劣勢となる。
受けに取らせたとき、陽の魄氣で前方の足が地を踏んだまま、足底を45度まで内に捻ることは可能であろう。すると、後ろの足を外から後方へ180度置き換えて、半身を転換しない体の変更もなんとか可能であろうか。しかし、この置き換えは伸展した足を後ろに半回転するわけで、何よりも回転の軸が厳密には前の足ではなく、軸足に連なることのない前方寄りの体軸に他ならない。
したがって、与えた魂氣は下丹田に置いても魄気と結んで体軸に与るわけではない。まして与えた手を下丹田に結ばず、緊張伸展して虚空に固定し、しかも体軸を確立すべき軸足も持たず、陽の魄氣のまま後ろの伸展した足を更に後方へ半回転して体の変更と称することになる。そこでは〝吾勝〟に象徴される体軸確立、すなわち魄氣の働きが現わされていない。そのうえ非軸足を後方へ一歩置き換え、体軸に与らない同側の魂氣(つまり与えた手の対側の手)を腰仙部に巡って体軸の交代を成す動作が欠如する。その動作は〝正勝〟と呼ばれ、「豊雲野神」に象徴される非軸足を自在に置き換え得るということで、千変万化の体捌きを表現されたものであろう。
魄氣と魂氣の結びによる体軸確立の基であれば、与えた手は下丹田で魄氣に結んで体軸の交代に与り、対側の魂氣は体軸から解かれて、〝身の軽さを得て〟入り身転換・体の変更という一連の動作で、陰陽・巡り・結びの手の動作を存分に為し得る。まさに魄の上に魂を載せて手を自由に働かせることができるというわけだ。
受けに与えた手は、入り身転換によって下丹田に巡り、同側の軸足とともに魂氣と魄気の結びによって体軸に与るが、交代した非軸足が弛緩屈曲して一歩後ろに置き換わる体の変更の時点で、下丹田に置かれたまま体軸から解かれて身の軽さを得る。
つまり、開祖の表現による〝魂の比礼振り〟が起こったことになるのであろう。再度交代することになった同側の非軸足に合わせて、魂氣の三要素、陰陽・巡り・結びを手の動作とし、自在に受けを導くことができる。 「同根一体」2021/11/14より引用
日曜稽古の記録 入り身転換は静止、体の変更は変動
*表は上段に与えて受けの手刀に気結びして一教運動表(井桁に進む半身の転換)で逆半身から相半身への外入り身。