〝正勝〟の千変万化とは非軸足を四方(内外前後)に置き換えることであり、そこで軸足交代して対側の〝吾勝〟の軸足が非軸足となる。その非軸足先も四方へ置き換えられ、次々に軸足交代して〝正勝吾勝〟が左右交代することで魂氣と魄氣が一方では結んで体軸に与り、他方では体軸から解けて尚かつ魂氣と魄氣の結びも解ける。
その結果、いわゆる空の気を解脱した手は魂の比礼振りと呼ばれて、自在に空間へ円を書き、つまり真空の気に結んでから丹田や体側に巡って次の体軸に与る。同側の非軸足先は手とともに四方に向けて置き換えられ、魄氣が丹田へ結んで次の体軸となるが、このとき対側の手は腰仙部に結び、足は継ぎ足として前の軸足の踵に接して二本が一本の軸足となる。すなわち、体軸が移動するとともに、左右の魂氣と魄氣の結びが一つになるのである。開祖はこの瞬間を〝勝速日〟と呼び、業の実が生まれる、と説明された。動作のみで言い現せば、入り身一足で残心の瞬間である。
魄氣の陽は、鳥船において呼気で〝吾勝〟に巡る寸前の姿にすぎない。体軸の確立を伴わないため、合氣の技が生まれることはない。一方、〝勝速日〟とは、鳥船においては現されることがなく、入り身の終末で残心に至る動作を喩えた言葉であろう。
開祖の揮毫にある〝正勝吾勝〟は剣の正面打ち素振りや鳥船、あるいは魂氣を与えて転換に捌くなどの合氣の動作の根元を現すものであり、他方、呼吸法や入り身の残心のごとく体軸を確立して技が生まれる瞬間の〝勝速日〟とは、別けて書に現されたものであろうと考察する。
2021/12/3