稽古中の怪我についての一考察
密な道場での稽古は、いわゆる崩し、作り、掛けまでに限るのが安全である。
投げは取りの魂氣と魄気が左右とも結ぶ〝勝速日〟とともに生まれる。入り身一足つまり残心で直立する体軸が両足底で地を占めるのみであるから、取りの立つ場は最小面と言って良い。それに反して、受けの体幹軸は倒れて地の魄気を全体に受ける。取りも含めると直径2メートル近い円が突然周りに弾けるから怪我は避けられない。
取りの初動は体軸を作って非軸足側の手・魂氣を下丹田に置く、〝正勝吾勝〟である。〝正勝〟の手を受けに与えると受けは体軸を一旦失って抑えにかかる。あるいは受けに与えようとする瞬間受けが機先を制して逆半身で横面打ちに掛かる。
崩しは互いの魂氣の結び。作りは互いの魄気の結び、体軸の密着、入り身である。掛けは取りの魂氣が受けの体軸・魄気にひびき、底を抜いて地に降りると思うことにする。直後に魂氣は自身の体軸に巡って魄気と結ぶ、いわゆる合気が成り立ち、体軸は四肢が一本の軸足となることで成立し、これが入り身一足であり、残心である。受けには投げや他の技が生まれている。
魂氣が受けの底を抜いてもそれだけでは取りの〝勝速日〟に至らない、つまり入り身一足ではなく魄氣の陽で静止することが投げに至らず、掛けで終わる動作となる。そのとき受けは体軸が限界まで反り返り、体軸と魄氣の繋がりは限りなく稀薄となっている。非軸足が軸に交代して切り返す返し技の瞬間を稽古する良い機会であろう。
投げる方はといえば、一見すると不完全な動作であり、達成感が欠けるようにも思えるが、陽の魄気から入り身一足に進まず、陰の魄気に巡って自身の魂氣と結ぶ動作、すなわち禊の鳥船に通じる。〝禊は合気であり〟(『合気神髄』p145)、受けを取りの力の及ぶところに包むわけで、事故から守り切ることとなる。
ところで、稽古中の怪我が受けに集中することは事実であり、いかにも取りの粗暴な動作が引き起こすかのように考えがちだ。しかし、稽古環境に合わせて合気道の術理に裏打ちされた段階的動作に習熟しているかどうかという観点も大切だ。人格に問題ありと決めつけることがあっては良き指導にはならない。
2023/10/3