開祖植芝盛平の語録『合気神髄』に、「脱力」という言葉は見つからない。
ところで、〝正勝吾勝〟と〝勝速日〟の間には〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟という動作があるものと読み解ける。
すなわち、体軸側の手は軸足交代によって〝魂の比礼振りが起こる〟ということになる。つまり体軸から解かれて〝神変なる身の軽さを得る〟〝これは自然の法則である〟と説明している。また、〝心の持ちようが問題となってきます〟と、付け加えている。
そして〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟と。
これは、はじめの軸足・魄気との結びが解かれた〝魂の気で、自己の身体を自在に使わなければならない〟。対側の手と結んで移動した体軸を成すところの〝魄が下になり、(比礼振りの起こった)魂が上、表になる〟
〝合気道がこの世に立派な魂の花を咲かせ、魂の実を結ぶのである〟
〝吾勝〟が右と左で体軸を交代させる間に〝正勝〟も左右交代して魂氣が自由になる瞬間を〝比礼振りが起こる〟と表現し、この〝身の軽さ〟で〝真空の気(空気)に結べば技が出ます〟ということだ。そこで、相手の芯を通り抜けた魂氣つまり手が開祖自身に巡った〝勝速日〟の姿を目の当たりにした人は、「脱力」と受け止めたのであろう。
*括弧内は筆者注記
気の置きどころのタイトル中、15. 合気道の「脱力」とは 2024/3/26より。