開祖は〝正勝、吾勝、勝速日とは武産合気と言うことであります〟と明言している。
〝吾勝〟とは軸足と同側の手の結び、つまり魄気と魂気が気結びして体の中心軸をなす体軸を象徴し、〝正勝〟は対側の手足を指すもので、体軸から解かれて自在に動かすことができる。剣素振りにおける足腰の動作と、徒手の単独動作で魂氣を与える動きはこれに相当する。
また、〝勝速日〟とは、左右の足が一本の軸足となり、両方の手も巡って体幹に密着し、五体が体軸に与る状態を象徴する。〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟と。つまり、合気の技が生まれた瞬間であり、いわゆる残心の姿に相当する。剣の操作では、「一つ打つ内に足は二つはこぶものなり」(兵法三十五箇条 宮本武蔵 寛永18年1641)に通じる言葉であろう。
これを相対動作で読み解こう。
〝吾勝〟という気結びで相手と一体になって取りの体軸と釣り合っている静止状態から、〝正勝〟で取りの対側が自由に動き、さらに技が生まれて一本の体軸で静止するまでの瞬間的な動作が〝勝速日〟である。
しかし、その間には〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟という動作があるものと読み解かなければならない。 すなわち、体軸側の手は軸足交代によって非軸足側となり、〝魂の比礼振りが起こる〟と比喩的に表現され、体軸から解かれて〝神変なる身の軽さを得る〟、〝これは自然の法則である〟と説明している。
〝吾勝〟が右と左で体軸を交代させる間に〝正勝〟も左右交代して〝魂氣すなわち手〟が自由になる瞬間を〝魂の比礼振りが起こる〟と表現し、この〝身の軽さ〟で〝真空の気に結べば技が出ます〟と。つまり、自由に空間へ円を描いて魂氣が巡ってくると四肢が一本の体軸に与り、受けは螺旋を描いて地に落ちている。まさに〝勝速日〟である。
この円を描く開祖の魂氣・手の巡りが受けにとっても周りの目からも脱力したように見えたのであろう。
植芝守央三代道主は、著作『合気道 稽古と心 現代に生きる調和の武道』(内外出版社)において次のように記されている。
〝全身の構造にしたがった自然な動きにより、効率よく集中して発揮された力を「呼吸力」と呼んでいます〟(p72)
〝無駄な力の抜けた自然体の構えから発揮されるものです〟(p73)。
力を抜くではなく、「力の抜けた」と表現されていることに着目すべきである。