2011年
8月
28日
日
*詳細は前回の幸町道場稽古記録を参照
*胸取りでは受けの手首を両手で上下から挟むように把持。片手取りは取りの手首を陰の陰(二教の手)から陽の陰へ巡らせると受けの手から離れ、受けの手首を舟漕ぎ運動の要領(または四方投げの持ち方)で取り直す。いずれも踏み換えと同時に二教の持ち方で受けの手首を屈曲して把持すると受けの肘は伸展し回内している。このままでは表。再度踏み替えると裏(手首肘とも屈曲)。
2011年
8月
24日
水
*表は相半身で取りが一教運動表・受けは転換して丹田に陰の陽で内巡り・昇氣で踏み替えて取りを交代し陽の陽で一教運動表まで以下連続。
*裏は相半身から一教運動裏で逆半身の外入り身・受けは上腕を通じて内方に取りの陽の陰の魂氣を受けるから前方の足先を内方に向けて後ろ回転の軸足とする・手刀は陽の陰から陰の陽へと巡り受けの腰背部(仙骨部)に結び後ろ回転の結果取りは元の半身へと入り身・体の変更で同じ半身・受けは踏み替えて腰背部の魂氣は丹田に巡って昇氣に(取りを交代している)側頸に留まって陰の陽のまま対側の上肢を陽の陰で進めて一教運動裏まで以下連続。表の場合と異なって取りが常に同じ方向に一教運動裏を行うことになる。
*転換については「合氣道の理解方法」中「神氣館における用語の約束ごと」にまとめました。入り身転換は単独基本動作ですが転換は相対基本動作として理解するべきで、先頃自然体への突き後手に横面打ち転換と杖巡り転換を随分稽古いたしました。
2011年
8月
21日
日
*10月の第15回関西合同研鑽会は全日本合氣道連盟講習会のもとに行われます。記念大会でもあり例年にない企画を期待してください。
2011年
8月
17日
水
*入り身投げは、受けの側頚に結んだ取りの陰の陽の魂氣に対側の陽の陰の魂氣を結び、結果受けの側頚から背を通して腰背部に降氣を及ぼし、終末は取りの丹田に結び残心。魄氣はすでに逆半身入り身または入り身転換にて受けの背側面から真中に向けて密着している。
2011年
8月
14日
日
*『側頸の結びに必然の目付』参照。回転または転換して側頚に結ぶとき受けを視野に入れると側頚が開かない、従って結ばない。手足腰の一致による一気の陽の陽が受けの同名側の頸部に結び芯に降りる入り身投げの原則が成立しない。
*改めて単独基本動作回転の手の位置に意識を置く。相対動作の体軸上で狭義の陰に陽に様々な活用が潜在している。
2011年
8月
10日
水
*取らせた両手は陰の陽で小手返しの手にする。これが呼吸停止の上で肘や肩を交えて屈筋を活用するものではなく、肘は伸展し腋はやがて降氣の呼吸法で閉じつつ同側の足腰を後ろに入り身する。側頸から額に結ぶと杖巡り近似の陰の魄氣となる。
*前から両手を取らせる場合は、右手を陽なら左手は陰の陽で右半身(天地投げなら陰の陽から外巡りで入り身運動、右手の陽は受けの胸に接して受けの昇氣の呼吸法を助けて側頸で陽の陰に巡る)。
*以上、後ろ両手取りの後ろ入り身と前方回転の二法。共に手首の屈曲・陰の陽(肘を伸展・腋を閉じながら母指が側頸に向かうことで肘が二次的に折り畳まれる。側頸に結ぶ瞬間腋は完全に開き魂氣は更に額へ陰の陰で結ぶ。)
*杖巡り近似ではあるが、杖の場合陰の魂氣は狭義の陽で昇氣から側頸辺りで陰の陰に巡って額に結ぶ。
2011年
8月
07日
日
*禊の舟漕ぎ運動や単独基本動作で目付が定まらない理由の一つには、剣の素振りが身に付いていないことにある。正面打ちや受け流し、杖の直突き・巡りに目付が下がったり頭が垂れることはあり得ない。
*正面打入り身投げ裏、片手取り四方投げ、片手取り呼吸法、突き入り身転換小手返しいずれも入り身転換、置き換え、踏み替えのときに受けと目が合うと結びが解けた状態。目が合うと側頚が閉じる(四方投げでは額に結べない)。
*片手取り呼吸法裏で陽の陽に合わせて目付を転換しても、既に受けは取りの後ろに落ちており視野に受けが入ることは無い。表のときは転換が無く入り身運動だけであるから、受けに寄せた軸足側の肩に向けて(受けの目付けの方向に)首を十分(90度)捻って側頚を開ける。合気体操首の捻りは重要。
2011年
8月
03日
水
*降氣の形と昇氣の区別を。諸手取りでは降氣の形で入り身転換、そこから側頚へ陰の陽で結ぶ。両腕の間に取りの上肢を入れるには丹田からの昇氣ではなく腋の周りを後ろから前に巡って側頚に結ぶ。体を入り身で接することが必要。片手取りでは昇氣でも降氣でも入り身転換が可能。
*力を抜け、ぶつかるな、押したり引いたりするのではない、という説明はやめよう。陰陽で巡って結びなさい、と言いましょう。陰陽の巡りは力が入っていると必然的に成し得ません。緊張から弛緩へ、伸展から屈曲へは確かに脱力とも言えますが。巡ればぶつかることはありません。押したり引いたりしなくても結べば自由です。小手返しの手も二教の手も力を込めて屈曲するわけではありません。