2012年
9月
30日
日
台風の影響で休みとした。
昇段級審査を前にして単独基本動作を振り返ってみる。
単独呼吸法については「合氣道の理解方法」に10/1付けで掲載する。
単独基本動作は魄氣の三要素を単独で行う稽古法であるが、魂氣の組み合わせとしては徒手、剣、杖を用いる。いずれの場合も上肢の動作を現す呼吸法に対して足腰上体の基本動作を指す。徒手による単独基本動作が受けとの間で魂氣の三要素を伴ったときは相対基本動作となる。従って技の成立過程で足腰の動作や上体と目付が単独基本動作から乖離したものにはなり得ないはずだ。
元来剣/杖を用いた単独動作から徒手に移行すれば、武器を持っているかあるいは受けの魂氣と接しているイメージを持ちながらの足腰の動作になる。そのようにしてさらに相対基本動作から技へと進展する過程では魄氣の基本のぶれることは少ない。徒手の単独基本動作を介在せずいきなり相対基本動作や、まして技を稽古するならば、魄氣の要素が剣/杖を用いる基本動作と接点を持つことは困難である。
迷いと悟りを分けるものは稽古の場に限らずごく普通の生活の中にある。
2012年
9月
22日
土
最終日午前の菅原師範と大会最終指導枠の道主のご指導をいただき、内外の道友と氣を丹田に練り合う稽古に励んだ。合うとは同時に互いにその動作を行うことであるが、長身の欧米人とは互いに同じ動作をという訳にはいかず、また、こだわりの動作を曲げずに自己を主張する御仁もおられる一方で、見事に滞り無く修練に努められる方にも出会うなど、4年ぶりに独特の緊張感を味わいながらの稽古であった。
受けの動作が横面打ちか正面打ちか、見て考えずに同一の魄氣・半身から一教運動裏/表で魂氣を発し、受けとの接触部に合わせて魂氣が瞬時に巡り、それに従って魄氣三要素が連なり互いに結ぶ。正面当てや四方投げ、一教や入り身投げと、“技は結果”の印象深いご指導もあった。
諸手取りは中段に取らせて、同時に対側の直突きに合わせて降氣の形で転換という三位一体を次第に忘れ、いつものごとく反復稽古の成りゆきで下段に取らせた腕一本に頼ってしまい、たちまち単独動作の呼吸法が滞るという特有の注文を付けてこられたのはアメリカからの道友であった。はっとする事や学ぶべき事に満ち満ちた会場は参加者一人一人の熱気で沸騰する勢いではあったが、開祖の肖像の下、道主を始めとする各師範の先生から厳粛な指導演武を示していただく度に、対照的な静寂の空間に立ち返るその対比は取分け印象的であった。
2012年
9月
19日
水
*「合氣道の理解方法」の「片手取り隅落とし裏のピットフォール」9/19掲載を参照。
*正しく立って前方を見渡し、動作を通じて自己の全体に心配りができていることこそ合氣の一歩である。
*魂氣も魄氣も陰においてこそ際立つ。陰の巡りは既に陽の内にある。
2012年
9月
16日
日
*上段に与える陰の陽の魂氣を陽の陽に開く時機を、始めのうちはイメージに頼っての動作の修練。
*対側の矢筈の形で巡らせると共に陽の陽を狭義の陰に巡って手首を屈側で上から把持する。
*陰の魂氣は直ぐ次の瞬間陽で発するから、取りも受けも互いに自然体から入り身運動の次に仕掛ける時、陰の魄氣でこの陰の魂氣を腰の後ろから必ず動作する。
*広義の陽は緊張、陰は弛緩。陽から陰に巡って弛緩で結ぶ動作が速い。中心の陰から陽に発する動作が速い。真中は強く打つより速い方が勝る。
*陽の陰中段で取らせて一気に腋肘手首を閉じ母指のみ陽で側頸に向け、回外すれば前方に向かう、踏み替えと共に肘を伸展して外巡りなら母指から陽の陰。回外しなければ手首を反屈して母指から陽の陽。回外せずに頰・額に陰の陰で巡って結ぶと逆半身内入り身転換呼吸法(二人取りの基本動作)
2012年
9月
12日
水
*離れた対象に氣を伝える、離れたところから氣を巡らせ結ぶ。後者は呼気で一気に吐いて空の腹に最大の氣を取り込む。無限の彼方に最大の気合いを放って腹を空にすると同時に魂氣は陰の陽から陰の陰で丹田に結ぶ。喉にくぐもる声ではない。一気に最大限の呼気を発するとは喉や口では間に合わない。頭頂から天に響き伝わるイメージ(心象)で気合いを発する(本気)。
*相対動作で氣を発し受けの魂氣と結び、取り自身にも結ぶ魂氣は直に接して巡るイメージであり気合いを発しない。
*合氣道の稽古で気合いとは敵にせまるかけ声では無い。天に響かせ空となる腹に魂氣を満たす声である。禊での柏手も道場における鳥舟の気合いも、天に響くとともに天のたましいと一体になって魂の氣力を授かるイメージ。
*入り身転換に置き換え・踏み替えで回転。置き換えた時魂氣の結びを解かない事が肝要。
*与えるとは陰の陽の手をすすめること。接触して初めて陽の陽で水平に開く。陽の陽の手は受けの魂氣と結んでおり、陽の陰にそのまま巡ると受けの魄氣(中心)に結ぶ。正面当てや側頸からの入り身投げ。
2012年
9月
09日
日
*陰の魄氣では軸足に全てをかける。相対動作で両手取りによる舟漕ぎ運動を行えば受けの気力も受けることで軸足の役割に気付きやすい。
*魂氣では、魄氣は左半身の陽にてホーで脇を開き肘を伸ばすが母指を除く指と手首の屈曲により広義の陽とは異なる。吸気とともに手首の屈曲部が前方に突き出されるにつれて、丹田に巡る気力がいや増す故に呼気へと移行する。陰の陽で手首の屈曲部を差し出し、広義の陽とならずに呼気とともに(イェイ)陰の陽で丹田に巡り、脇が閉じると肘もやや屈曲し上肢全体が体側に密着し陰の陰で丹田に結ぶ。
最後の左半身サーと陽の陰で上肢全体を伸展すれば吸気は一気に限界まで達し、其の分を全て前方に突き放ったイメージを持つ。魄氣は左半身の陽。一瞬のうちに胸郭は虚脱しイェイで呼気にて全てを吐き出すとともに、ありったけの氣を掻き取るイメージで魂氣を陰の陽で丹田に巡らせ、陰の陰で結ぶ。魄氣は陰。
*魄氣の陽では半身となり、陰では正面を向く。単独基本動作としての舟漕ぎ運動であり、禊ぎの形に一致するものではない。剣・杖・徒手に通底する足腰の動作である。
*ピットフォール:上段に与えるとき受けは手刀で護る。受けが先手で手刀を正面にかざして取りに打って出る動作は裏である。左右反復稽古表裏の惰性で取りの先手・後手が曖昧になる。したがって、先手のつもりでも受けが先手で手刀を打つことで取りは手刀でそれを受け、同時に取りとして結ぶために受けの上肢の内上方に押し入ろうと反応する。
【対策】①後手に回れば裏である事が鉄則。受けの動作・間合いを指導する。取り受け/表裏の乱取り稽古と区別する。②与えたものを開くとき内巡りでは母指から常に水平に開く。つまり狭義の陽(外巡りでは小指から狭義の陰で開く)。上段に与える時手刀に開くと手の内にあるものがすべて落ちてしまう、とイメージする。接触したら初めて水平に開いて手の内のものを見せようとする、結びである。相対動作の手順によって受けは手の内のものを最後まで見る事が出来ない。上段のまま陽の陽から陽の陰に巡れば正面当てとなり手掌は受けの顔面を包む。一教運動で上腕が丹田に結べば受けは取りに背を向ける。取りが後手に回れば手を開かず(手の内を見せず)、対側の手を矢筈で陽の陰にて受けの上肢に当てるとともに巡らせたなら、与える手の内は受けの手首に接しながら自ずと水平に開く。
*手首に接して水平に開いた魂氣は丹田の高さに巡って来ても、手首に接したままで陰に巡って、受けの手首の屈側を上から握る。与える手の内を早々と上段で開いた場合、巡りも早くなり受けの手首にすがるように絡んでしまう。そのようなとき上腕に位置する取りの矢筈の手はそれを掴んで突き降ろそうとし、手首の手は陰の陽に巡って絡み付く様に受けている。本来の狭義の陰陽が逆になってしまう。正しく与えたなら、上腕では舟漕ぎ運動のホーイェイで陰の陽に巡り丹田に結び、そのとき手首では上から握って外下方に降ろす。坐技両手での陰陽の巡りに帰結。
*降氣の形から回外の動作と、外巡りを厳密に区別する事。前者は脇を閉じて回外するから結んだ後の陽の陰は受けの内側に進み真中に達する。後者は脇を開いて二教の手となるから広義の陽に進めると受けの外側に入る。受けの側頭や脇の背部に回内して陽の陽で結ぶ入り身、陽の陰と入り身運動で手首の取り返し、側頸へ巡って陰の陰での結びなどに展開。
2012年
9月
05日
水
*反復では、転換の軸は常に一つ。他側は足先を置くだけ。内股に置き換え軸足として踏み替え。速い・見えない反復。
*回転は魄氣だけではなく手の位置・役割も。
*片手取りは下段に与える
*入り身転換は180度、転換は90度
*正面打ち表は上段に与える、裏は額に陰の陰で剣線を外して受け流し
*横面打ち入り身・転換運動はひと呼吸で打って丹田に巡る
*両手を後ろから取らせたところで始める:片手取りでの“与える手”を後ろに廻した状態(陰の陽)に、肘を伸展させたまま手首より遠位を屈曲し、陰の魄氣として腋を閉じ、指先は体側から側頸・額または丹田に向かう。
*①一足を外側後方に置き換えて陰の魄氣は降氣の形で側頸・額へ魂氣を結ぶ。②その場で転換した陰の魄氣は前は丹田・後ろは腰に魂氣を結ぶ。③一足を後方で前方回転の軸足とし同側の魂氣を丹田に陰の陽で結び、対側の魂氣を額に結んで、受けの側方へ回転。三法あり。
2012年
9月
02日
日
近畿2府4県と他県あわせて45団体・四百三十名の参加により、道主をお迎えして、豊中市立武道館“ひびき”にて開催された。神氣館から5名が参加して各地の指導者、道友との熱い練氣を、道主ご指導の下に気持ちよく怪我もなく完遂した。当たって滞ることのない気流のひと軌跡はそのまま呼吸法として、あらゆる動作の核心となっていることを、次々と道主はお示しになられた。襟取りの受けの真中を内/外入り身運動で突き巡らす動作は、それが正面打ちにおいても横面打ちであっても一元のものであることを、我らは互いの動作の中で感じ取れるよう繰り返し錬磨した。