2014年
9月
24日
水
*受けは横面打ちと同時に取りの振込突きを顔の前に予見してしかも対側の手で受け止める動作をすることは不自然。
*転換は表、入身転換は裏。従って表は転換・入身、裏は入身転換・踏み替え。目付と上体はいずれの場合も剣線を外して受けの目線に合わせる。表では前方の足先を踏みしめて軸とすれば体軸は90度捻っている。従って外転換と合わせて−180度、その後入身から残心までにより+180度以上転じる。
2014年
9月
21日
日
*目付・足・腰を一致させて軸を正して後ろ回転・それで上体の回転によって受けの手も共に回転し、その上で取りの手は下から降氣の形で受けの手首を支えて取りの側頸に陰の陽で結び(諸手取り呼吸法近似)、対側の手は四方投げの持ち方近似で受けの小指球を包む。
2014年
9月
17日
水
*回外のときこそ脇を緩めない、外巡りや二教の手と厳密に区別しなければならない
*回転では、基本動作なしに動こうとすれば両足で踏ん張ってしまう。二本の軸足で無理に一方を中心にして回ろうとすれば、回転軸は体幹の中心にとどまる。回ろうとするより、軸足を作って静止するつもりで対側の足を巻き付けてから次の軸足へ交代する。そのためには膝が弛緩屈曲しなければならない。
*後ろ取りに対する回転は半回転となる。
*ピットフォール:軸を正さなければ回転が不十分となり、後ろに被さる受けの上体を、曲がった取りの背を起こしながら受けの脇の下から上肢の尺側で押し上げようとしてしまう。
*結果的に内/外入身転換/転換となる。いずれも目付の転換。魂氣は横面打ちで振りかぶって発する。対側の魂氣と上体半部・軸足は陰で剣線を外す。
*単独基本動作に委ねるしかない。常識的な思いつきで体の一部を動かしても合氣道に近づくような気がしない。
2014年
9月
15日
月
*二教の手は母指先が前方を向く。陰の陰は地を向く(陰の陽は自身を向く)。地を向くか、前を向くかは、手を取った受けとの魄氣の結び(体軸の接近)の有無にかかわる。そして、その後の“四方投げの持ち方”の成否、つまり四方投げの成否にかかわる。
*項に正面打ちで上肢を伸展(画像1)、丹田に巡って剣の残心(画像2)。足腰は横面打ち入身運動の残心のごとく、半歩進んで送り足。受けは後方に落ちる。
2014年
9月
10日
水
関西地区合気道合同研鑽会の技から。両手を取らせるときの内転換で、先に取らせた手から“両手で氣の巡り”で陰陽を入れ替える。横面打ち、胸襟取りの魂氣も同様。
2014年
9月
07日
日
道主植芝守央先生、道場長代行植芝充央先生のご指導の下、参加団体 55、参加者 510名
緩急や動静のうねりを伴う動作では、相の継ぎ目に見当をつけて形に合わせることが比較的容易である。一方、一気に示される手足腰の動作は、ぶれない芯と、同期する全身各部の対照を認識することから始めなければ、容易に再現することができない。
つまり、手に集中して動作を形で表現しようとするなら、たちまち目付けと体軸と足腰の基本動作が宙に浮き(魄氣は地に居着く)、軸足を確立しても対側の足腰を移動するにしたがい、たちまち手の結びが解けてしまう(離れるばかりでなく過剰な筋緊張で補おうとしてしまう)と言う具合に、魄氣の陰陽や転換にたいしては、魂氣の結びがなおざりとなり、魂氣の巡りにおいては体軸や魄氣の要素が厳密に動作しきれない。
また、魂氣と魄氣のそれぞれ三要素が一つながりの動作として示される場合、内にある要素を飛ばして形そのものにこだわってしまえば、合氣道の共有は困難である。研鑽とは正にその点を究めるために日頃の感受性を掘り返すことであろう。
2014年
9月
03日
水