2020年
7月
22日
水
*魄氣の結びとは、入り身転換・体の変更で軸足交代・体軸移動を連ねて受けの体表面に陰の魄気で膠着する体感。受けとともに体軸を作った後に入り身転換で軸足交代・体軸移動を重ねて受けが取りの体軸から解かれて同時に取りの魂氣が受けの側頸から体軸にひびくから、螺旋で落ちる。
*体の変更で魂の比礼振りが起こる場合(動画②片手取り隅落とし裏)と、反対に空の気に結び(互いの魄氣が結び)体軸を共有する場合が有る(動画①)、いわゆる〝一体となる〟。一体となったままでは魂氣を発することが出来ない。体軸に与ったままだから。再度入り身転換で軸足交代し、受けに結んだ手が再び体軸から解かれ、魂の比礼振りが起こると身の軽さを得る。
2020年
7月
21日
火
静止して安定するとは左右対称で立つこと、自然本体、天の浮橋に立つこと。
動作を考慮した姿勢とは、
1)バスに乗って両手を用いず、体軸が曲がったり倒れたりせず、体勢を維持する立ち方。
2)青信号に変わると同時に左右を見て横断歩道へ一歩踏み出す早さ。
その説明は以下の如くである。
1)体軸を作る軸足の踏む床が任意の方向に傾くと、対側の足先をその方向へ置き換えて軸足交代する。
2)非軸足先を軽く半歩出して踏む。
なお、非軸足先方向へは膝を緊張伸展する。それ以外は弛緩屈曲して足先を引き上げてから置き換える。
したがって、軸足を作って対側を〝軽く半歩出す〟、〝三位の体〟(p70)、または体を三面に開くのが動きに備える姿勢である。『合気神髄』の中にも一言、〝自然の法則〟(p105)である、と開祖が簡単明瞭に示している箇所を見出せる。
左右対称であれ非対称であれ、両足で地を踏んだうえに動作を考慮することは出来ない。前者は天の浮き橋に立った静止である。
後者は鳥船で振り込み突きとともに吸気で体軸が後ろの軸足から前方寄りに揺れた瞬間の足腰である。即座に呼気相で魂氣(両手)を下丹田に巡らすと同時に体軸は後ろの軸足へと戻る(魄氣の陰)。つまり吸気における動作の瞬間の姿勢(魄氣の陽)が、静止として動きに備えることはできない。
入り身転換や体の変更、入り身投げ/一教の際の入り身運動、あるいは転換や回転での軸足交代などで、体軸移動に伴う魄氣の陽はほとんど目に映らない。その姿勢は鳥船で一時静止して修練するしかない。
2020年
7月
18日
土
合気道の根本は開祖の言葉『合気神髄』をおいて他にはない。
〝天の浮橋に最初に立たなければならないのです〟(p26)。
〝魂は天に昇り魄は地に下り〟(p80)、
〝天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。片寄りがない分です〟(p69)。
〝大地の呼吸とともに天の呼吸を受け、その息をことごとく自己の息にして同化し、魂魄を正しく整える〟(p149)。〝要するに天地の気と気結びすることである〟(p172)。
以上が静止の姿である。
合気の動作とは、すなわち開祖の言葉と想いと動作の三位一体である。
〝禊は合気であり、合気は禊から始める〟(p145)。
〝右足をもう一度〟〝踏む〟、〝自転公転の大中心はこの右足であります〟(p69)。
〝こんどは左足、千変万化、これによって体の変化を生じます。左足を三位の体にて軽く半歩出します。〟〝これが千変万化の無量無限、神変、神秘を表わすことになります〟(p70)。〝また右足は 中略 動かしてはなりません。すべての気を握るのは、この右足 中略 であります〟(p70)。
〝魄を脱して魂に入れば〟〝左は正勝〟〝右は吾勝〟〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟(p70)。
〝左はすべて発し兆し、無量無限の気を生み出すところであります〟。〝魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します〟(p70)。
以上が動作を生み出す姿勢と仕組みである。
軸足は代わらず体軸の浮動を繰り返す鳥船、軸足の交代による体軸移動である入り身・転換・回転。
軸足交代の連続で体軸から解脱した手は魄氣との結びが解けて、魂の比礼振りが起こると体の変更である。
2020/7/18
2020年
7月
15日
水
*吸気で陽、呼気で陰
魂氣の陽は魄気の陰から進める
魄気の陽は既に魂氣の巡りである(魂氣と魄氣を陽に合せて静止しない)
魄氣の陰では既に魂氣は丹田に結び魂氣の陽の兆しである
魄氣の陽は静止して目にできる姿勢ではない。
軸足を失い体軸の移動する瞬間である。
*魄氣の陰は軸足が体軸を確立し、同側の手(魂氣)が陰で体軸に与る。対側の手は丹田にありながら離れて自在に働く兆しを持つ。ただし鳥船では両手を揃えて動かすので形は左右で変わりは無い。入り身や転換では左右で陰陽・巡り・結びの相が異なって同期する。
*陰の魄気で静止し左右片手取りを交代して連続動作へ。陽では受けを前方に放つか転換で技の動作に進める。
*与えた手は入り身転換で丹田に結んで体軸にあずかる。入り身は陽の魄気・転換で陰の魄気。
2020年
7月
14日
火
魄気の陰、つまり軸足を作って体軸を確立すると対側の非軸足は〝軽く半歩出し〟(p70)て、足先を地に置く。同側の手は掌に魂氣の珠を包んで下丹田に在るが、体軸に与ることなく呼吸と共に自在に魂氣を虚空へと発することができる。すなわち、手を伸展すると〝真空の気に結〟(p67)び、丹田や体側に巡って魄氣に結ぶと、同側の足は軸足に交代しており体軸に与ることとなる。これを〝空の気の結び〟(p79)と表現される。
今、魄氣の陰(〝三位の体〟p70)で非軸足先を進めながら下丹田に置いた同側の手で魂氣を発しようとする。受けはいち早く逆半身で横面打ちの動作を表す。このとき、受けの手刀の振りかぶりは魂氣の働きから見れば吸気に伴う広義の陽であり、緊張伸展である。
一方、取りの手は下丹田で魄気との結びを解き、開祖の言葉では〝空の気を解脱〟(p67)して呼気で掌に氣の珠を包み、弛緩屈曲している。
禊によって魂氣の陰陽という〝気の妙用〟(p85)つまり〝呼吸の微妙な変化を感得する〟(p86)ことにより、体軸に与らない手には〝神変なる身の軽さを得る〟(p105)。〝魄の世界を魂の比礼振りに直すことである〟(p149)。
母指先が同側の頸部を経て上丹田の高さへ昇るとき、同側の非軸足先が逆半身外入り身をすれば魂氣は陽の陽で受けの手刀の接点より中に入る。先手の気結びである。
また、受けの逆半身横面打ちで間合いが詰まったとき、取りの非軸足は受けの踏み込みに合せてその場で軸足へ交代すると、魂氣は上丹田にあって広義の陰で体軸に与り、上肢全体が鎬となる。対側の手は腰仙部で魄氣との結びが解けて、同時の振り込み突きで相半身内入り身運動を動作できる。
さらに間合いを詰めて受けが陽の魄気で地を踏んだなら、取りの異名側の非軸足でそこに軸足を作っても相半身内入り身は著しく遅れる。つまり、非軸足先は逆半身外入り身で進むことも、その場で地を踏むことも出来ない。自ずと外に置き換えて軸足とせざるを得ない。外転換である。上丹田に在る陰の魂氣(鎬)は同側の非軸足を外に置き換えると同時に外巡り(二教の手)で体軸から離れ、新たな非軸足側の魂氣が陰の陽(小手返しの手)で対側の頸部から顔を横に拭うような動作で巡ると、受けの手刀に陽の陽で結ぶことができる。後手である。
後手の場合に逆半身入り身を伴って外転換を試みると、明らかに間合いが詰まって捌き切れないばかりか、鎬の手もろとも側頭に受けの打撃を受けるだろう。
横面打ちには、先手、同時、後手のそれぞれの間合いで互いの魄気の結びを確実にする足腰の基本動作が必須である。それらが、逆半身外入り身、相半身内入り身、外転換である。いずれにしても、はじめに魂氣は陰の陽で上丹田に鎬として置く。単独呼吸法坐技の呼気相で上肢を畳んで側頸に母指先を向け、そこから外に回して前方に向けつつ上丹田に掲げる動作である。
〝気がまえが自由に出来ておらぬ人には、充分な力は出せません。空の気と、真空の気の置きどころを知ることが第一であります〟(p67)と、そして開祖は魂氣と魄氣のそれぞれ三要素を姿勢と動作に現すことが、〝自然の法則である〟(p105)と明言する。しかし、〝合気道には形はありません〟(p23)。〝形を出してからではおそいのです〟(p51)、と。
我々の基本動作が示す姿勢は自然の法則により体軸から解かれた〝魂の比礼振り〟(p26)を核心とするものであって、魄気と共に体軸に与るべき魂氣(手)を虚空に発することはできない。それは自由ではなく形を引き摺った姿勢である、と理解している。
〝右手をば陽にあらはし左手は陰にかへして相手みちびけ〟
広義の陽は吸気で虚空に発して円を描き、陰は呼気で丹田や体側の魄氣に結んで体軸に与る。
〝この左、右の気結びがはじめ成就すれば、後は自由自在に出来るようになる〟(p105)。
タイトル「魂の比礼振り19」から転載
2020年
7月
08日
水
2020/7/7のタイトル:魂の比礼振り「18.〝武は愛なり〟を動作に現す」を転載します。
天から受ける魂氣には陰陽・巡り・結びと言う三要素からなる働きがあるものとする。〝魂氣すなわち手〟(『合気神髄』p181)。手を動かすことは魂氣の働きによる。
一方、体幹は軸足に支えられて魄氣の働きで体軸を成し、足底から頂丹田まで垂直に立つ。したがって目付けが水平に定まり最大視野を得る。同時に非軸足が自在に置き換わり、軸足に交代すると体軸移動が安定的に可能となる。
そこで左右の手のうち、体軸に連なる軸足つまり魄氣と結ぶ魂氣が静止の働きに与り、対側の手は非軸足と共に体軸から解かれて、〝魂の比礼振りによって〟(『合気神髄』p92)自由な動きが可能となる。〝魄の世界を魂の比礼振りに直す〟(『合気神髄』p149)、即ち非軸足の置き換えと同時に同側の手は陰陽・巡り・結びの動作で虚空に円を描く。一呼吸で非軸足は再び軸足に交代し、魂氣は丹田に結んで動作を終える。入り身運動の残心である。
相対動作では、互の体軸が接して魄気の結びが成り、互いの手の接点で取りの魂氣が陰から陽へと虚空に円を描くことで魂氣の結びが成り立つ。更に魂氣は受けの真中にひびき、底を抜いて取りの丹田に巡って合気が為される。
円の中心に合気の武技が生まれ、開祖はそれを〝愛〟と呼んでいる。
2020年
7月
01日
水
それまで魂氣が同側の足腰(魄気)と丹田に結ぶことで体軸にあずかっていた手は、軸足交代によって体軸から解脱すると、つまり魄氣との結びを解くと、〝神変なる身の軽さを得る〟(『合気神髄』p105)。そこで母指先から自在に魂氣を虚空へ発することができるようになる。これは〝魂の比礼振りが起こる〟(『合気神髄』p106)と表現される。
このとき対側の魂氣と結んで交代した軸足が体軸を確立するから、その意味では対側のその魄氣を体幹の土台にして、自由になった手(魂氣)で非軸足の置き換えと共に、陰陽・巡り・結びの魂氣三要素を動作に表すことができる。〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟(『合気神髄』p67)と表現されるがナンバ歩きに他ならない。
虚空に手で円を描いていく訳である。そして〝円を五体の魂(たましい)におさめる〟(『合気神髄』p120)すなわち魂氣は丹田にて魄氣と結ぶ。〝合気の魂の円〟(『合気神髄』p121)であり、〝円の動きのめぐり合わせが、合気の技であります〟(『合気神髄』p120)。
ところが、陽の魄氣の姿勢、つまり鳥船でホーと両手を振り出す動作に続いて両足を前後に踏ん張った姿勢で、体軸・軸足の不確立のまま静止してなおも魂氣を発し続けようとするなら、すでに〝つまっている〟(『合気神髄』p18)状態であり動作ではない。体軸に与らない前後の魄氣が直接両手に抜けて魂氣を追いやり、まさに魄気の力が伝わっていることになる。
開祖曰く、〝魄力はだめだ〟、〝魄が下になり、魂が上、表になる〟(『合気神髄』p13)、すなわち、右が魂氣と魄気の結びで体軸を作ればこれが土台となって、左の非軸足が自在に置き換わり、左の手(魂氣)は自由に空間へ円を描いて丹田に巡り、軸足へと交代して左の手足が体軸を作る。これが合気である(動画①②)。