2021年
10月
27日
水
2021年
10月
24日
日
*四方投げの持ち方で陽の魄気からの振りかぶりには無理がある。正面打ちの素振りに矛盾する。体軸・軸足の確立なくして同側の魂気は上丹田に昇ることができない。吾勝の動作である。
2021年
10月
20日
水
2021年
10月
17日
日
2021年
10月
13日
水
*取りが左半身で受けは相半身正面打ち/逆半身正面打ち
2021年
10月
10日
日
*今月は横面打ち、正面打ち、片手取りについて、それぞれの四方投げを稽古した。取りの前/後方回転と体の変更による捌きの大きな違いが異なった業を生むことについて体感した。
2021年
10月
06日
水
2021年
10月
03日
日
*後方半回転で体の変更では前の非軸足先が外股で直角に開いている。それにこだわって、内側に180度回旋して軸足交代するとその場入り身転換となって、後ろ一回転に相当する
2021年
10月
03日
日
禊とは、左右対象に開いた足で立つ正立から、呼吸とともに両手を天に開いて正面で拍手することで丹田に魂氣(心のたましいが天から与える力)を取り入れ、足底を通して大地から魄氣(身体のたましいが地から伝える体軸の核心)を吸い上げ、下丹田においてそれらが一つになって真に生きる力を得る動作である。言葉と思いと動作の三位一体の所作である。この意味で、天地の気を思うことで正立するのが天の浮橋に立つことに喩えられている。
次に右へ体を傾ける思いで右足を軸とし、右手は掌に魂氣の珠を包む思いで下丹田の右に置く。左足は非軸足となって軸足側に引き寄せ、足先を地に置く。左手も同じく掌に魂氣を包んで下丹田の左側に置く。ここで右の手足腰が一つに結んで体軸が確立し、左半身の姿勢となる。この足腰を陰の魄気と呼ぶ。
左半身では両手が体幹に密着し魂氣は陰と表現する。右手足は体軸に与っており、魂氣と魄氣が下丹田で結んでいる。左足は体軸から解かれており、自在に四方へ置き換えることができる。左手はその足先に合わせて母指先から魂氣を自在に虚空へ発することができる。つまり左手は下丹田に置かれても魄気に結んではいない。開祖の言葉から、魂の比礼振りが起こっている状態に相当すると考える。
この左手は魂氣を包んで受けの上中下いずれにも自在に与えることができる。つまり、母指先が地を指せば下段、内を向けば中段、天を向けば上段である。腋を開き、肘を伸展してもなお手首は弛緩屈曲し、掌は魂氣の珠を包んでいる。すなわち陰の魂氣を差し出した状態であって、母指先が円を描くと一気に全ての指が緊張伸展して掌が開き、魂氣の珠は無限の大気にひびきわたる。開祖の所謂真空の気に結ぶという思いであろう。
いまや吸気に伴い上肢は過伸展したまま腋から閉じつつ呼気に移って体側へと巡っている。左足は半歩進んで鳥船の魄気の陽から軸足へと直立し、右足が伸展して地を突き放すと魄気は一気に軸足へと移動する。つまり左の新たな軸足に右足が揃って一つとなり、左の魂氣も体側に結び、一本の体軸が移動して確立することとなる。この動きがまさに入り身一足であろう。
開祖は『合気神髄』(p70)において、右足(軸足)と右手を吾勝、左足(非軸足)と左手を正勝に喩えられ、〝左右一つに業の実を生み出します〟としてこの瞬間を勝速日と表現しておられる。魄気の働きは陰でも陽でもなく、つまり次の動作の方向が特定されるわけではない。また技の生まれる途中でもない。合氣の技が生まれる瞬間であり、これこそが残心であろう。両足が体軸に与る静止そのものである。
動作のなかにある瞬間こそが静止の本体である。