2022年
1月
30日
日
2022年
1月
29日
土
鳥船
鳥船とは、陰の魄氣(吾勝)から吸気で軸足を伸展し、体軸が魄氣から解かれて体幹軸が直立のまま、両手に魂氣の珠を包んで母指先は地を指し、手根を前方に伸展して(正勝)非軸足が地を踏んで脛を直立した瞬間(陽の魄氣)、〝踏み詰める足は待ちの足〟を嫌って、伸展した足を呼気でその場に軸足へと戻し、魂氣を下丹田に巡らせて陰の魄氣(吾勝)に戻る動作である。
魂の比礼振り
軸足側の魂氣は体軸に与るが、非軸足側の魂氣は下丹田に置かれても体軸から解かれており、非軸足先とともに自在に空間へと発することが出来る(正勝)。たとえば、相対動作における片手取り入り身転換から体の変更では、一旦正勝で受けに与えた手であっても、入り身転換によって下丹田に結ぶと体軸に与って吾勝をあらわし、体の変更で体軸から解かれるとふたたび正勝となる。つまり、開祖の言葉では魂の比礼振りが起こったわけで、身の軽さを得ている
残心
一方、踏み詰める足の陽の魄氣では、伸展した対側の足を瞬時に継いだ左右一つの軸足で体軸を進めると、入り身一足(勝速日)の動作になる。〝二つ運んで一足進め。二つと思えば、常にあゆむ足也〟。
相対動作では勝速日が残心そのものとなる。なぜなら、そのとき後ろの足に軸を思うだけで即座に陰の魄氣(吾勝)となり、前の足に軸を思えばその場で転換・入り身転換となり、やはり陰の魄氣で不動の体軸のもと、千変万化への体捌きが可能になるからである。
初動の魄氣と剣の素振り
陽の魄氣で静止して、踏み詰めた前方の足と同側の手を差し出し、相手の反応を待てば後手を引くわけであるから、取りが受けに与える際は吾勝で体軸を作り、正勝で上/下段に発するべきであろう。つまり、合気道での剣の素振りはまさに徒手における初動の根本を成しているわけだ。
素振りでの前方の足は踏み詰めてはならず、これに反して合氣の剣は踏み詰めて瞬時に〝二つ運んで一足進め〟入り身一足となる。確かに魄氣は陰から陽を経て入り身一足となるのだが、目視し難いのが術理である。徒手では転換/入り身/入り身転換/回転/体の変更に陽の魄氣が内包されている。踏み詰めても待たずに軸足交代へと動作するから見えないのである。
2022/1/29
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水
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日
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土
足捌き
宮本武蔵のいわゆる〝足使い〟、つまり足捌きは足腰の捌きであり、目付けをともなって体捌きに繋がる。
また、〝一足進んで受けに近づくことが勝ちを見出す〟という武蔵の教えもある。
その術理についてさらなる言葉を以下に示そう。
〝太刀一ツ打内に、足は二ツはこぶ物也。
太刀一ツに足一ツづゝふむは居付はまる物也。
二ツと思えば、常にあゆむ足也。〟(武蔵の兵法三十五箇条)
〝二ツはこんで一と足すすむ〟ということになり、
前の足を送り足、後の足を継ぎ足で運ぶことであろう。さらに、
〝踏み詰める足は、待ちの足といって、敵に先手をとられる足使いであるから、ことに嫌うものである。〟(五輪の書 風の巻)
踏み詰める足、とは一つ送り足を踏みつけたまま二つ目の継ぎ足が出ず、動きのとまっている足のことだ。
以上のことから、足を進める、体軸を移動する、ということは必ず足を左・右と運んで踏むことになる。そのことを考慮して、合気道の基本とされる剣素振りと船漕ぎ運動・鳥船について、その足腰の使い方を考察する。
合気は禊である
『合気神髄』で開祖は、「合気は(中略)最初は天の浮橋に立たされてというところから始めなければなりません。」(p99)と古事記の言葉に喩えて教えている。「立ったならば自分が統一していなければなりません。空気を媒介として統一になるのです。呼吸いきです。人の身体に、過、現、未の全部をひきしめてしまうのです。その方法が鎮魂帰神」(p101)。雑念を払い、こころを鎮めて天地の気に気結びし、清々しい気持ちになる、ということであろう。左右対称の足で立ち、片寄りのない姿勢が静止である。
心のたましいは天に昇り魂とよび、体のたましいは地に下りて魄とされる。そこで、天から受ける気は魂気、地から受ける気は魄気ということになる(p80)。天地の気とは魂気と魄気を指し、それぞれの働きや、手・足腰を指す場合にも用いられる。
鳥船
次に動作へと移るが、開祖の言葉はこうだ。
「昔は鳥船とりふねの行事とか、あるいは振魂ふりたまの行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。」(p101)と。
はじめに右足を軸として左足を軽く半歩出す。両手は魂気の珠を包んで臍下丹田の両脇に置き、右手は軸足と結び体軸を確立していると心に留め置く。左手は同側の非軸足とともに、空気中へと自在に発散できるはずである。この姿勢は呼気相にあって、魄気による働きが地から軸足の足底を通して体軸の先の頂丹田にまで及んでいる、と思うことにする。私はこれを魄気の陰と呼ぶことにしている。
そこで、吸気とともに母指先が地を指したまま魂気の珠を包んだ両手を前方に差し出す。このとき右膝は伸展してその場で地を踏み続け、非軸足先は左手に合わせて同時に前方へ置き換え、脛を直立してはじめて地を踏む。腰、即ち臍下丹田は始めに正面を向いていたものが、前下方右寄りに捩れて一瞬静止し、体軸と右軸足は失われる。体幹軸のみが直立したままやや前方に片寄る。つまり体軸の延長線は底丹田の真下の地に下りることとなるが、ただ浮動するのみで地から魄気の働きが伝わっているわけではない。しかし腰が右前下方に捻られることで臍下丹田に向かって地から体幹軸を支える魄気の働きが及んでいる、と思うことにする。「心の持ちようが問題になる」(p67)と。まさしく気持ちになるわけだ。この状態を陽の魄気と呼ぶことにする。
ただし、その瞬間、踏み詰めた左足に加えて右足は地を踏んだまま伸展して軸足ではなくなったから、このまま静止するわけにはいかない。天地の気、魂気と魄気の気結びを解いたままであるからだ。一瞬のうちに右は軸足として体軸に与り、左の足を非軸足に戻すことが肝要である。陽から陰の魄気へ巡り、再び吸気と呼気の動作を行なう、その繰り返しが鳥船の動作である。
空間から魂気を包み、下丹田に巡らせて結んでは発し、次第に魂気の高まりを丹田に感じていく。すなわち、体軸の確信とともに天から受ける魂気と、地から受ける魄気が一つになって清々しい気持ちを生み出す呼吸動作である。
結局、鳥船は陽の魄気における〝待ちの足を嫌って〟陰の魄気である「正勝吾勝」(p70)に巡る動作であると結論できる。陰の魄気は単なる静止ではなく、軸足・体軸を作って対側の非軸足と自由な手を確立し、いつでも体を捌くことのできる姿勢である。
剣素振り
剣素振りについては、右半身の陰の魄気で右手に把持した剣を振りかぶる呼気相から始め、吸気で右手を伸展して剣先を前方に発し、同時に右足先を剣線に合わせて前方へ伸展したままで置き換える(正勝)。鳥船と異なるところは、後ろの軸足を伸展せずに体軸は終始その場で維持したまま(吾勝)、非軸足先は地を踏まず呼気で軸足の前に戻し、同時に剣を持つ右手は上丹田に巡って振りかぶる姿勢をとる。左手は体軸に与ったまま腰仙部に陰の魂気として常に結んでいる。
両手で剣を操る際は柄尻を持つ左手が陰の魂気として体軸上を下丹田と上丹田の間で上り下りする。剣を打った時は上体が右半身となって左の腋が閉じるから、左肘より遠位は剣とともに伸展しながらも陰の魂気である。
この剣素振りの体捌きが、徒手においては取りが魂気(手)を下段に与えて受けに取らせ、あるいは上段に与えて正面打ちが導かれる動作となる。
それに反して、鳥船の陽の魄気で手を差し出して受けが把持するまでの短い静止は、〝踏み詰める足は、待ちの足といって、敵に先手をとられる足使いであるから、ことに嫌うものである〟ということになる。
合気道の初動
鳥船は、正勝吾勝から後ろの軸足を伸展して前の非軸足をその場で踏み、即座に後ろを元の位置のまま軸足に戻して正勝吾勝に巡る。体軸移動には至らない。
ところで、非軸足を踏むと同時に継ぎ足を内に巡って陰の魄気なら内転換である。また、同時に継ぎ足で一本の体軸を確立すると体軸は一歩進めたことになり、勝速日に喩えられる。その時、継ぎ足が剣線を外せばこれが入り身であり、相打ちにならない「合気の剣」の体捌きである。〝二寸の開き〟(柳生流)なる極意はこれであろう。
一方、剣素振りで非軸足先を取りの外に半歩置き換えて軸足とし、対側の継ぎ足先が剣線と直角をなして陰の魄気とすれば外転換である。いずれにしても、合気道の初動はこの剣素振りの足捌きから魂気を上・下段に与えて始まるものである。
2022/1/21
2022年
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19日
水
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16日
日
2022年
1月
12日
水
*目付(上体)は入り身で外転換の軸足方向、対側の手は井桁に進む非軸足先に合わせて受けの真中へ向ける。非軸足先と手は一教運動表近似で脇を締めて受けの上腕を避けて担ぐようにして手首を取り、項に向けて陽で発する。魄気は鳥船近似で陽から陰に、受けは取りの腹側を後ろに落ちる。
2022年
1月
09日
日
*魄氣の陽は入り身一足で左右一つになる勝速日の瞬間に潜む姿であるが、目を凝らしても他者に見えることはない。鳥船でその姿勢は明らかとなる。
*正勝吾勝の瞬間に相手が魄氣の陽で静止すれば、自身の不動の軸足から対側の魂氣を陽で発して、体軸を失い体幹軸が宙に浮いた瞬間の相手の底丹田から抜けて自身の体側・丹田つまり体軸に巡り、勝速日は自身に成る。返し技の生まれる極みがここにある。
*正勝吾勝で体軸が確立するなら、相手の魂氣が底を抜けることはない。自身の軸足で基本動作(体捌き)が可能となり、自身の魂氣が(魂の比礼振りが起こって)相手に発せられる。受けが体軸を失い、魄氣の陽の瞬間であれば自身に勝速日がなる。左右一つに業の実を生み出す。左右の手足がそれぞれ一つになって、つまり魂氣はいずれも陰で体幹に結び、左右の足は一本の軸足となり、業が成立して受けは地に落ちている。入り身一足は勝速日そのものである。
2022年
1月
05日
水
*〝左右一つに勝速日で四方投げ表裏の業の実を生み出す〟