令和6年の年頭所感
鳥船の姿勢について
「身体活動において力強くあるためには、
つねに体の統一が必要とされる。
同時にその活動が活発であることは、
その体が変化に富むことを意味する。
統一を欠く変化は弱く、変化に乏しい統一ははたらきをもたない。
統一と変化とを具体的形体の中に同時にもたなければ形としての意義がない。」
「形の性格」富木謙治著『武道論』(平成3年11月10日大修館書店)p55より
身体活動によって現れるのが形であり、「統一」つまり安定性と、「変化」つまり活動性を同時に持たなければ意味がない。
体軸を作る軸足・魄気と同側の手・魂氣の結びが体の安定性であり、開祖はこれを「吾勝」とした。また体軸から解脱した対側の非軸足と手・魂の比礼振りは活動性であり「正勝」と言い表した。
一方で、開祖は〝魄が下になり、魂が上、表になる〟と教えている。〝形より離れたる自在の気なる魂〟つまり非軸足側の手は魂の比礼振りが起こっており、非軸足と同期して自在に置き換え(〝手、足、腰の心よりの一致〟)、継ぎ足で魄気の移動及び体軸の再確立が可能となる。〝魂によって魄を動かす〟動作である。
したがって、体軸を作る魄(「統一」つまり安定性)は下に、「吾勝」。非軸足と同側の手(「変化」つまり活動性)は表、上に、「正勝」。ということになる。
これより、「正勝吾勝」は〝魂によって魄を動かす〟と同義であろう。その結果が「勝速日」であり、〝業の実を生む〟、入り身一足の姿すなわち残心に相当する形である。即「正勝吾勝」に移り、安定と活動が維持される。
剣素振りは「正勝吾勝」で体軸は不動である。一方、合気の剣で打って突いては「勝速日」で体軸移動まで進み、直ぐ「正勝吾勝」で転換や体の開き、見切り、入り身一足などの動作が繰り返される。
鳥船の動作はどのように表されるだろうか。はじめの左半身で、魂氣を与えようとして両手を下丹田に置く姿勢について考察する。
右足を軸として右手は下丹田に置き軸足と結んで体軸が確立しており、左の手足は体軸から解かれているが魂氣は下丹田に置かれ、左足先は地に触れるだけである。これは呼気でイエイと発声する姿勢で、魄気の陰の働きによるものと思うことにする。
すると、魂氣を包んだ両手を吸気でホー、と差し出すとともに体軸を失い、つまり軸足を緊張伸展して非軸足は脛が直立するように踏み詰め、体幹軸がわずかに前方へ移動する。これを魄気の陽の体勢とする。
大事なことは、魄気の陰は正勝吾勝であるが、魄気の陽は鳥船において吸気の終末で魄氣の陰に巡る一瞬、入り身一足では勝速日に繋ぐ一瞬である。つまり、動作の中では目に止まらない変化といえる。勝速日や正勝吾勝という体軸の安定に至るまでの変化を含む動作は力強く、しかも活発であるということになる。
魄気の陽は合氣道の動作の要であるが、一瞬の姿勢として内在するに過ぎない。その見えざる変化を禊によって修練することは、同じく見えざる魂氣を空気と丹田の間で練磨することに通じ、趣深いことである。
*形:動作によって現れる姿形と、心に対して形ある身体としての二通りの意味で用いている。前者は正勝吾勝勝速日、後者は魄気と同義である。
令和6年(2024年)1月