2024年
10月
16日
水
2024年
10月
13日
日
禊:天の浮橋に立ち天地の氣に氣結びする/鳥船、左右左
2024年
10月
09日
水
魂気の巡りで魄気が軸を成し互いの結びで体軸確立。さすれば対側の手足は自在に働き、後ろ転換(吉祥丸道主のいわゆる上半身転換)を行って体軸が交代するなら、ここに元の半身で吾勝、正勝の動きが成立するわけである。
受けに与えながら陰に巡り、中丹田において体軸の一部となっていた手は転換により身の軽さを得て、自在に陽の陽で発することができる。これらは諸手取り呼吸法の機序である。
与えた手を魂氣の巡りで受けに発して技を生むためには魄気の巡りも必須であるということになる。その動作は吉祥丸道主により体の転換法と呼ばれ、何よりも相手の攻撃線(剣線)を外す目的に叶うものである。体捌きと呼ばれる足腰目付の動作である。
魂気を発して受けに手を与え、その場で同側の足が軸となれば魂気と魄気の結び、つまり合気は成らず、天地に立つべき御柱・体軸は生まれない。頂丹田と底丹田を結ぶ体幹軸は地に屹立することなく、左右の片寄った足に支えられるだけである。そこには体捌きが伴わず、吾勝に支えられた正勝の働きも生まれない。したがって受けに与えた手は自由にならないばかりか、受けの攻撃にたちまち曝されることとなる。
2024年
10月
08日
火
〝武産合気〟は形ではない
『合気神髄』に収載された開祖植芝盛平の言葉からこのことを確かめていきたい。
古来、心のたましいは天に昇り魂、肉体のたましいは地に下りて魄と呼ばれてきた。間を満たすものはことごとく気と考えられ、天から掌に受ける魂気が手を、地を踏む足底に受ける魄気が足腰を働かせると思うことにする。
自身の魂気と魄気が結べば〝天の気、地の気、要するに天地の気と気結びする〟(p172)〝天と地を結んでしまう〟(p28)。つまり〝合気は禊である〟(p150)
〝真空の気、空の気の結びつきによって〟〝左、右、左と巡環に払って禊すれば、四方八方位に武産が生き生きとして、武の兆しが出る〟(p95)。これは鳥船の行である。
〝武がなければ国は滅びる。すなわち武は愛を守る生命だからであり、科学の活動の根源なのです〟(p100)。
〝右足をもう一度、国之常立神の観念にて踏む〟〝自転公転の大中心はこの右足であります〟〝左足を三位の体にて軽く半歩出します〟〝左足は豊雲野神〟〝千変万化、これによって体の変化を生じます〟(p69〜70)。〝右足は〟〝動かしてはなりません〟。
〝左は正勝〟〝右は吾勝〟〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟(p70)。
また、〝正勝、吾勝、勝速日とは武産合気ということであります〟(p65)
以上のことから武産合気とは、いわゆる形の特徴によって定義される概念ではない。天地の気に気結びして体軸を確立し、非軸足と同側の手が自在に動いて左右交代しながら遂には五体が一つに結んで天地の〝御柱〟(p149)となる。つまり、入り身転換(p174)と入り身一足による残心が技を生むことこそ武産合気なのである。
2024/10/8
2024年
10月
02日
水