2024年
4月
28日
日
*演武稽古:
*演武自由稽古
2024年
4月
24日
水
2024年
4月
21日
日
*〝魂の気で、自己の身体を自在に使わなければならない〟〝形を出してからではおそいのです〟〝体を通して、形のあるものは魄である〟〝魂が魄を使うのでなければいけない〟〝言ぶれせずに〟正勝吾勝、体捌き(空の気を解脱する)、勝速日(真空の気に結ぶ)で武産合気。
2024年
4月
17日
水
2024年
4月
14日
日
*片手取りでは、開いて(体の変更)相半身として〝弓を気一杯に引っ張ると同じに〟(『合気神髄』p67)対側の手は直突き、払わせて下から跳ね上げ、解いた手で側胸を突いてから項を包み引きつけて入り身投げ表、又は入り身落し。
*襟側の足腰を開くと逆半身外入り身、袖側では相半身内入り身となる。
*参考:「京都大学理学研究科・理学部 大学生活 教育プログラム サイコム 理論語と観察語」
2024年
4月
10日
水
『合気神髄』より
p50〝合気道には形はありません〟〝禊に基づいてやるのです〟
p51〝形のない世界で和合しなければだめです〟〝形を出してからではおそいのです〟
p17〝合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである〟
p15〜16〝合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする自己の中に吸収してしまう〟〝世界を一目に見るのである。今日ではまだ殆んどの人が出来てないようだ。私も出来ていない〟
2024年
4月
08日
月
開祖植芝盛平の語録『合気神髄』に、「脱力」という言葉は見つからない。
ところで、〝正勝吾勝〟と〝勝速日〟の間には〝空の気を解脱して真空の気に結ぶ〟という動作があるものと読み解ける。
すなわち、体軸側の手は軸足交代によって〝魂の比礼振りが起こる〟ということになる。つまり体軸から解かれて〝神変なる身の軽さを得る〟〝これは自然の法則である〟と説明している。また、〝心の持ちようが問題となってきます〟と、付け加えている。
そして〝勝速日の基、左右一つに業の実を生み出します〟と。
これは、はじめの軸足・魄気との結びが解かれた〝魂の気で、自己の身体を自在に使わなければならない〟。対側の手と結んで移動した体軸を成すところの〝魄が下になり、(比礼振りの起こった)魂が上、表になる〟
〝合気道がこの世に立派な魂の花を咲かせ、魂の実を結ぶのである〟
〝吾勝〟が右と左で体軸を交代させる間に〝正勝〟も左右交代して魂氣が自由になる瞬間を〝比礼振りが起こる〟と表現し、この〝身の軽さ〟で〝真空の気(空気)に結べば技が出ます〟ということだ。そこで、相手の芯を通り抜けた魂氣つまり手が開祖自身に巡った〝勝速日〟の姿を目の当たりにした人は、「脱力」と受け止めたのであろう。
*括弧内は筆者注記
気の置きどころのタイトル中、15. 合気道の「脱力」とは 2024/3/26より。
2024年
4月
03日
水
*内転換は取りの腹側に非軸足を置き換える、外転換は背側に非軸足を置き換える相半身の時は前者が受けに対して外転換、後者は内転換となる。相対動作の時は受けに対する内外で表現し、単独動作においては自身の腹/背側を内/外と表すのが合理的か?